観察・実験・数理モデル
最近、植物の繁殖生態学を調べている。動物も面白いけど、自然史的視点で調べるなら、予想外の生き様を見せてくれる植物の方が面白いと思っている。 両性花をつける、ある昆虫媒の植物において、雄花が雌花の先に出てくる(雄性成熟)程度によってどれだけ結実率が変わるのか、という植物生態学的に基本的な問いを立てて、予察的データを取った。 開花期のある期間に150個体をマーキングし、その時点の性別を調べる。 その際に、すでにメス化している個体と、まだオスの個体を記録する。 その意味では雄性成熟というより、早くメスに変わる効果を見ている? 結実期に、結実状況を調べる。 結果、左がメス化している個体、右がオスの個体 カテゴリは見た目から判断した成功の指標。 緑と紫が失敗、赤と青が成功 すでにメスになっている、つまり雄性成熟した個体とそれ以外では繁殖状況に特に違いがなさそうという結果が得られた。 雄性成熟した花は、他よりも先にメスになるので、周りのオスから花粉をうまく受け取れるのではないかと予測していたが、繁殖状況は変わらなさそうだった。 花粉親になれりやすいのは雄のままの花なので、先にメスになった方がいいとは限らない。 直感と反する結果になったのは何故か? 全体の性比を見ていないので、マークした個体以外のフェノロジーがズレており、花粉を受け取れた。 他のパッチから花粉が運ばれてきた。 1個の雄花が複数の雌花と受粉した(虫媒なのであり得る)。 自殖した。 調査の直前はすべての花がまだオスだった(何らかの理由で半数が一気にメス化した) 直感的には、予測通りにいきそうだが、これらの理由によって影響がなさそうな結果になった。 さて今年はどうしよう? これらを一つ一つ検証する? 別の問いを立て、また調べる? 生活史研究は沼るな。。。楽しいけど 何を言いたいかというと・・・・ これまで野外観察データを使って研究してきたが、かなり大規模な(派手な?)動物の行動を対象にしてきたため、観察だけで生態的な意味をきちんと考察できていた。 こうした経験から、私は実験や数理モデルによって研究する意味が分かっていなかった。なぜ非現実的な条件や仮定を作らないと見れないような現象をわざわざ検出するのか? 特に、実データがない状況で組まれた実験や数理モデルって何の意味があるのだろうか?と思う時もあった。(数理や実験の予測...