ドキュメンタリー映画「東京干潟」の感想
ドキュメンタリー映画「東京干潟」(監督・製作村上浩康さん)の感想。
この映画は、多摩川の河口干潟でシジミ捕りで生計を立てているホームレスのおじいさんが主人公のドキュメンタリーだ。おじいさんは川の土手の小屋で15匹の猫と暮らしており、ほぼ毎日干潟でシジミを5㎏くらい獲って、それを売った金で食事と猫のエサを買っている。貯金はなさそうで、その日暮らしの生活スタイルである。
映画は基本的におじいさんのシジミ捕りと村上監督との対話形式のインタビュー、かわいいネコ達、時々カニから成るとてもシンプルな内容である。前半はシジミ漁を中心に、おじいさんの一日の生活の様子が描かれている。大きいシジミのみを捕まえるためのシジミ漁法を開発しており、泥に手を突っ込み、指を開く間隔を調整することによって、大きめのシジミだけを捕まえている。さらに、捕まえたシジミを粗い目のざるに通して、ざるにかからない小さいシジミを取り除いて、河に返している。「大きくなって帰ってこーい」と言いながらシジミを川に投げる姿は、自然と共生して暮らしていくことを本当に大事にしていることが感じられる、前半の見どころである。
猫については15匹すべてに名前を付けており、区別もできているらしい。子猫の時に家出して3年後に戻ってきた猫のことも覚えているほど猫識別が熟達している。おじいさんが住んでいる場所は猫を捨てに来る人が多いらしく、時々捨てに来た人に注意したりしているらしい。収入が少ないにもかかわらず、ここまで猫の面倒見る理由を聞かれても「そんなものはなくて、猫たちには生きる権利がある」と言い「こいつらが生きているうちは俺も死ねねぇんだ」という発言には、猫への深い愛情が感じられる。
ほのぼのしている前半と変わって、後半は割とシリアス(といっても淡々としている)で、東京オリンピックのための道路拡張に伴う橋の建設による干潟地形の改変や、漁師によるシジミの乱獲などがおじいさん視点で描かれる。また、テレビなどで多摩川河口の干潟が取り上げられ有名になってしまい、市民が沢山潮干狩りに来るようになったことも士事務減少に関わってそうだという。決して製作者の意図をもって批判的に見せることはなくて、あくまでもおじいさんの口から開発や乱獲への思いが語られる。漁協とは結構ケンカしたらしいが、橋建設についてはバブル時代の乱開発などに思いをはせて、寂しそうな様子が印象的だ。これは乱開発による環境破壊に対してというよりは、バブル期に建設関係の仕事が忙しくて家庭を疎かにしてしまったことへの後悔(これは直接は語ってない)のような気持に思える。
後半はおじいさんが自分の人生を語っている。北九州生まれで、成人して沖縄に行ってアメリカ軍の憲兵になったらしい。その後で建設の仕事をしていたらしい。あとは干潟でシジミ捕り仲間のおっさんが出てきたりする。
ホームレス仲間のおば(あ?)さんと語らうシーンも印象的である。おばさんはおそらく、自分が周りからホームレスと見られることに対して嫌な気持ちになっているようだ。僕はおばさんが一体何を言ってるか分からなかったが、おじいさんはおばさんの言葉をしっかりと理解して「俺らは自分の意志でここに住んでいるんだよ」と暖かく強い言葉をかけた。おばさんはこの言葉を聞くと気が楽になったような表情をしていた。自分はホームレスについてはよく分からないけど、普通に暮らしていた人がホームレスになったら周りの視線が気になったり、コンプレックスを感じているのだろう。自分の意志でこの暮らしを選んでいる、という一言は悩んでいる人を勇気付けるのに効果的な言葉なのだなと感じた。
最後のシーンは台風による増水でおじいさんの家が水没しそうになる。監督が流されないようにロープを結わってあげるのは、さすが元トビ職だなぁ。増水に対しても余裕があり、特等席などと言ってのける余裕がすごい。そして、祭りばやしがBGMで流れながら、増水する多摩川を見ているおじいさんの遠望で突然映画は終わる。唐突でびっくりしたがこういうのもありかも。
この映画はおじいさんの視点から開発や乱獲、ペット遺棄などの問題を淡々と描写している。こうした内容のドキュメンタリーの多くは、作り手の思いが強すぎて、聴衆の解釈にまで作り手のメッセージが食い込んでくるので、ドキュメンタリーとしての中立性がなく、あまり好みではない。あくまで解釈は聴衆に委ねられるのが自分は好きである。こうした自分の好みを踏まえると、この映画は、人生を達観したおじいさんの視点からデリケートな環境問題を淡々と描写することで、押しつけがましくない内容に仕上がっている。監督が意図しているかどうかは分からないけど、後半は割と暗い内容(開発や乱獲による自然破壊)にもかかわらず、見終わった後に心の中が不思議とすっきりした。普通こういったドキュメンタリー映画を見た後、しばらくはゴミ拾いとかペットボトルジュースを買うのを控えるようになるのだが、今回はそういった事はなさそう。おじいさんが被害者面せずに常に問題に淡々と向き合い、語る姿を丁寧に描写することで、この不思議なスッキリ感は得られるのかもしれない。前作「カニの惑星」を見る限りでは、そもそも監督が干潟に居る面白そうな人を見つけて撮影しているというスタンスだから、変にメッセージ性が強くないだけかもしれない。
どういう現象が起こっているかどうかよりも、主人公がその現象をどのように理解・解釈・対応しているかが、実はオーディエンスの印象を決めているのかもしれない。たぶんこの映画の主人公が、シジミ捕りで日銭を稼ぐ生活を苦しんでいたら、シジミが取れなくなっている状況に対して悲観するだろうし、それを見たオーディエンスは、開発や乱獲に対してネガティブな感情を強く抱くだろう。少なくても、このおじいさんは悲観的には見えなかった。当たりまえだが、主人公の視点は作品のメッセージを強くコントロールしている。
そしてこの映画で一番驚いたことは、泥干潟をすたすた歩き、筋骨隆々な二の腕を泥に突っ込みシジミを掻き出しているこのおじいさん、なんと齢85歳とのこと。。。信じられない...ちなみにおじいさんは常にチューハイを飲んでいる。どことなく漂う哀愁は、彼の人生経験だけでなく、酒に酔っていることによって効果的ににじみ出せているのだろうか。そして最後まで名前は明かされなかった。
大都市東京の干潟で採れるシジミで生計を立てている人が居ることや、東京オリンピックによる自然破壊、テレビで紹介されたことでたくさん人が押し寄せる、など現在の自然と人の関係についての興味深いトピックも含まれているので、自然が好きな人は一回見てみるといいかもしれない。
羽田空港から発着陸する飛行機・ビル街・橋を建設する重機をバックにシジミをとるおじいさんの様子が何度も写されるが、これは本作の位置づけをとてもよく表しているシーンだ。
リンク
東京干潟プロジェクトHP
https://higata.tokyo/
東京干潟視聴リンク@アマゾンプライム:リンク
コメント
コメントを投稿