2020年の学振についてPart1

今回は2020年の学振DCについてのポスト。

小生はラストチャンスである2回目DC2(注)で採用が内定した。DCは過去2回落ちており、2回ともC判定、つまり不採用者の上位50%以下という低評価であった。せっかく採用されたので、これまでの道のりを振り返りつつ学振について書こうと思う。以下の文章は個人的感想をダラダラ書いてくので、このポストを読むと学振に通りやすくなるとかないです。若い人は、こんなやつでも憧れ(笑)キラキラ学振になれるんだとエンカレッジされてください。

学振DCのおおまかな区別:翌年D1になる人=DC1、D1かD2の人=DC2、に応募できる。2回目DC2とは、D2で申請書を出して、D3から2年間特別研究員として採用に至った場合。

Part1(これまでの経験を書く)
採用に至るまで(申請書に落ち続けた落ち武者の話)
   
Part2(お役立ち?情報を書くつもり)
フォーマット・採点が2020年から変わった話
 
Part3(学振採用後のことを考えてみた)
「学振採用=研究者としての成功」なのか??


1.採用に至るまで(申請書に落ち続けた落ち武者の話)

修士時代(研究開始~DC1)

 はじめて書いた研究費申請書はM1秋の笹川科学助成だった。10月中旬、何やらしかめっ面でパソコンと向き合っている友人は、笹川助成の締め切りに追われてるようだ。そういえばイケイケな先輩が笹川助成もらってたな、と思い出し、イケイケな研究者になるべく、笹川にチャンレンジすると思い立ったが、その時すでに、締め切りの4日前。頑張って書いたが、人に見せる間もなく不採用。
 
そしてM2のDC1一回目。研究内容は4月に考え始めた。内容が固まったのは4月中旬、初稿が5月にできて、ドクター・ポスドク・教員合計8人くらいに見てもらった。GW期間中にコメントを反映させて提出。そして10月C判定の通知。今見返してみると、アイデアは面白いが文や計画にかなり難があった。計画点が2.6(5点満点中)・研究資質・遂行能力が3.2くらいだった。中の下~下の中くらい?

立派なミヤマ

落ち武者の問題点
業績は埋まる程度にはあったので、特に少ないわけではなかった。最終的にポシャッたが、データもアイデアもそれなりにあった。

「これまでの研究」に共同研究を自分の研究として書いたのは、本当に良くなかった。すごそうな研究をやってることをアピールしたかったのだ。しかしこれは逆効果。
学振の「これまでの研究」は申請者の研究能力のアピール部分なので、自分メインの研究以外を書くのは非常に良くない。共同研究を書くと、申請者の研究能力が分かりにくいのだ。

最大の問題点は、言わずもがな、取り組みが遅かった点に尽きる。所詮A4数枚の日本語だろうと舐めてて、文章書くのはそれほど苦手ではないので、こんなの3日で書き終わると踏んでいた(わりと本気で。。)。大した自信である。4月初めには初稿出せとポスドクが言ってたので、3月の生態学会終了後に考え始めた。そして初稿ができたのが5月。。。ohhhh

自分みたく、たかがA4数枚と思ってる人は、まずは仮想学振をM1の秋に書いてみて、「書けない自分」に一度絶望し、冬の間に根拠のない自信(☆超重要☆)を取り戻したうえでDC1に臨もう。仮想学振がスラスラ書けた人はGWの10日間を旅行や趣味に費やそう。

ちなみに学振落ちた直後の笹川もダメだった。フィールドワーク中のスキマ時間で書いたので微妙だった。これも重要な教訓があって、書きなれてない内は、申請書を片手間で書くのはよくない。集中して書く時期は、申請書以外タスクは原則無視するくらいの気持ちで取り組んだほうがいい。もちろん休息はしっかりと取るべきだ。

ぼーべりあ?にやられたエゾゼミ



博士1年(1回目DC2)

自分は修論の出来がメチャクチャひどかった。なぜならば、2月〆切のドラフトを1月に書き始めたからである。DC1の反省を全く生かしてない。今でこそ教訓になってるが、当時はまだなけなしの才能を信じていたのかもしれない。学習しない生物。

1回目DC2の成功には、修論の出来が重要と思っている。ひどい修論を教官にボコボコにされ、傷つき、そして先の見えない博士課程に進学した直後は、かなり憔悴していた時期である。長閑な苫小牧から喧騒に包まれる札幌に引っ越し、人ごみのストレスもあった。

でも学振は書かなければいけない。しかし、自信喪失の落ち武者が「俺凄いんです、ぜひ本研究やらせてください!!」とPRが必要な学振を書けるだろうか?、いや書けまい。業績も金も壮大な計画もないし。。。その一方で「書くんだ、研究するために博士に行くのに研究申請書と向き合わないのは逃げだ」という自己問答もはじまる。

結局この年は、自信も業績もなかったので、自暴自棄になって「ヒグマと冬虫夏草の相互作用」というトンデモナイテーマを編み出して、申請書を書くことにした。このテーマは個人的に大好きだったので、自信はなかったが、勢いで何とかGW前に初稿を作った。

DC1よりも少し早く初稿できたにもかかわらず、5人くらいからしかコメントをもらわなかった。ガッツリ直してくれそうな人には最後まで頼めなかった。自信がなかったのだ。

10月、C判定での不採用。平均点で2.5くらいだったので、DC1よりもかなり評価は落ちた。

修論で失敗し自信を失うと、①自暴自棄になって無茶苦茶なテーマで申請する;②憔悴し「業績がないから」「修論を投稿しなきゃ」「実験・調査が。。。」とか言い訳付けて申請を見送る、の2択になると思っている。そしてこの2択のどちらをとっても採用は難しいだろう。もし修論で失敗してしまったら、学振の期間まで南国に滞在するといいのかもしれない。僕はマレーシアに1週間くらい居たら傷ついたメンタルが割と回復した。3月でもボルネオにはセミが飛んでるのだ。北はよくない。3月は寒くて日が短いから。飯は旨いけど。
山おやじとの邂逅

ちなみにこの年は笹川も落ちた。この時点で、細かい助成金などを含めると、不採用通知を合計10回くらい受け取ったことになる。不採用の通知は、もう慣れたので、やはり何も感じなかった。次頑張ろうとしか思わなかった。

落ち続けた結果、若き日(3年前くらい?)に抱いていた「優秀な研究者」や「エリート」的な青臭い標語はもうすでにない。申請しては落ちるを繰り返すうちに、メルヘンチックでボヤーっとした研究者像がかなり現実的になった。なので、研究室の後輩には、申請書をチャンスがあれば常に書くように推奨している。

突然人生論だが、ギリギリまで「逃げちゃダメ」なのだ。「人生=研究」ではないので、しんどかったら研究なんて放り出して逃げたほうがいい。でも、ある程度追い込まれないと人は成長しないのも事実。そうサ〇ヤ人のように。バランス次第で成長するか・潰れるかが決まるのだ。デンデが常にそばにいるとは限らない。ベジータのような自ら瀕死になる度胸があるわけでもないのだ。DBネタをぶち込みたかっただけでした。鳥山はすべて分かっている。

超高級魚キンキの炙り


博士2年(2回目DC2)

うまくいったときよりも失敗したときの方が、書くことが多い。今年の学振の具体的な内容については、Part2で書くので、ここはあっさり。

これまでの反省を踏まえて、2月下旬に書き始めた。10人以上の人に見てもらった。余計なプライドを捨てて、書きかけのドラフトにコメントもらった。コロナで家で書くことになったので、メリハリが付きにくかったが1か月はしっかりと申請書に取り組めた。あとは、進捗の管理とかもしてみた。今回は応用色の強い研究で申請したので、農学分野の人からコメントをもらった。

採用通知を見たときにそれほど喜びを感じなかったのは、落ち続けたことによって合否によって感情が動かなくなっていたからかも。しばらく時間が経って周りの人から祝福されると実感できた。

これまでの落ちた経験があるので、今はPDの申請までの業績とテーマを視野に入れて研究している。実際はなかなかうまくいかんけど、心はPDに向いている。DC1よりも1年遅く申請になるのは、2回目DC2の利点かもしれない。

助成金をたくさん書いたり、「学振に間に合うように早く論文書け」というプレッシャーを感じることで、論文執筆に対してストイックになれた。これを古の人は、臥薪嘗胆ならぬ、”学振”嘗胆と呼んでいたそうだ(私信)。学振落ちることにもメリットがあると思う。

500円で買ったアンコウ

学振についてポストしている多くの人は、成功体験を起点に振り返る場合が多いけど、自分の場合、お世辞にも採用まで順風満帆というわけにはいかなかった。悩める学生諸君にとっては、優秀な方々の成功体験よりも、こうした挫折・トライ&エラーがメインの採用ストーリーのほうがモチベーションになると信じて、このポストを書いてみた。あと「成功の秘訣」よりも「失敗する要因」を共有したほうが、後進のためになると思っている。



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